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京都市東山区にある和菓子屋さん「餅寅」。

江戸時代末期から続くお店。

先祖代々、明智光秀の首塚を弔っているそう。

光秀は死の直前、自分の首は知恩院で火葬するように命じたと伝えられています。

で、家来が近くまで持ってきたのですが、知恩院にたどり着く前に夜が明けてしまい、追っ手を逃れるために今ある地に(光秀の首を)埋めたと言い伝えられているようです。

かつては石塔があるのみでしたが、その後そばに祠(ほこら)が作られました。

今はそのなかに光秀公の木像や位牌、骨壷が置かれているようです。

江戸時代、明田利右衛門(明智光秀の子孫?)という人がそのあたりに屋敷を構えて首塚を祀っていたけれども、京都から関東に行くにあたって餅寅に管理を託されたんだそう。

それから200年くらいでしょうか。
ずっと守り続けているというのが、律儀というのもありますし、歴史を感じられて面白いですね。

この餅寅さんのことを知ったとき、自分は「川端道喜」のことが頭に浮かびました。
(応仁の乱で御所の財政が逼迫してままならなかったとき、朝食を毎朝届けた。そのお店はずっと続いており、現代もあります)

京都の奥深さというのは、やっぱりすごいものがある!

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